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「泉州焼」 「泉州の須恵器を現代の器として普及させたい」

- 2010年04月03日18時25分 配信 -

なにわ人模様:泉州焼の工房を主宰、西念秋夫さん /大阪
 ◆泉州須恵器を現代の器に−−西念秋夫さん(62)=岸和田市

 ◇復興へ試行錯誤全国に発信 古代陶工の技法研究
 「泉州の須恵器を現代の器として普及させたい」。自らが手がける新しい須恵器を、産地名をとり「泉州焼」と名付けた。泉州と同様に消滅した須恵器系の陶器が第二次大戦後に福井県などが中心となって「越前焼」として復興したことが、心の中にある。

 岸和田市三田町にある工房「西念陶器研究所」には、復元した壺(つぼ)や坏(つき)、瓶(へい)など奈良、平安時代の様式の器のほか、現代の技術や道具で作られた皿や花器なども並ぶ。岸和田発の陶器を全国に発信することを夢見て試行錯誤を繰り返してきた跡でもある。

 須恵器は、約1100度前後の温度の窯の中で焼く陶器の一種。現在の堺から岸和田にかけての丘陵一帯では、5世紀ごろから約500年間、約1000基もの窯が築かれて生産されてきた。日本の焼き物の古里ともいえる地域だ。だが、窯をたく燃料となる樹木を切り尽くし、生産が東海地方などへ移ったことで泉州から消滅。また手触りがなめらかな釉薬(ゆうやく)がけの陶器に押され、焼き締め陶器の須恵器は衰退したとされる。

 中学1年の時、美術本で焼き締め茶わんを見た。ただの粘土が器に変わる不思議さに引かれ、「自分で作りたくて、家で粘土をこね、七輪で焼いてみました」。岸和田に住んでいた故加藤泥二のもとにも通うようになり、陶芸を学んだ。

 古墳時代の須恵器を初めて手にしたのは、遺跡発掘の府の臨時調査員としてかかわった20歳の時。造形技術の高さとともに、器に施された線刻や透かしに美意識の高さを感じ、古代の陶工の技法を研究するようになった。3年後に「西念陶器研究所」を開設、陶芸教室も開いた。生徒を募って陶芸を教える一方、「古代泉州の須恵器の復興を生涯の仕事にしたい」と決めた。

 中国が発祥といわれる須恵器の伝わった経路を知りたくて、源流に近い沖縄県・八重山諸島の新城(あらぐすく)島を訪問し「パナリ焼」を調査。また、粘土の土壌研究も重ね、泉州の丘陵一帯を自分の足でくまなく歩いた。工房では陶芸研修生の育成を続け、後にプロとして工房を開く人が出てきた。

 個人の力でできることは可能な限り広げてきたつもりだ。しかし、協力してくれる人がいたからこそできたとも思う。昨春から、次男の佑介さん(26)が工房で働き始めたことも心強い。

 多くの人たちに茶器として泉州焼を楽しんでもらおうと、工房の敷地内に建てた茶室で月に1度、茶道石州流の亭主として客を招く。「大阪を代表する器が泉州須恵器であることや、それを生み出す風土の良さを分かってもらいたい」と思っている。【堀田恵昭】

 ◇来月2日から「まつり」
 西念さんらが続けてきた泉州焼陶器まつりが4月2〜4日の午前10時〜午後6時(4日は午後4時半)、岸和田市にある岸和田城の堀端周辺である。陶器の展示販売や陶芸教室、野点(のだて)やカフェもある。問い合わせは、祭りの実行委事務局(072・445・7070)。


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